あるのは事実ではなく解釈…

日々思ったことや感じたことを綴りたいと思い舞す。

本学と末学

本末転倒とは

  • 物事の根本的なことと、そうでないこととを取り違えること。▽「本末」は根本的なことと枝葉のこと。「転倒」はひっくり返すこと。「転」は「顛」とも書く。

 

Wikipediaいわく本末転倒とは根本的なことをひっくり返すことらしい。

日常で使用する本末転倒といえば、「それって結局目的と違うところに行ってるよねとか」とか「元も子もなくね?」的な感じな使われ方をしていると思う。

でも本末転倒の「本末」って実はそういう意味を表しているものじゃないらしい。

 

本末転倒の「本末」は、「本学」と「末学」の「本末」らしい。

じゃあ「本学」と「末学」ってなんなんだ。

 

本学とは

本学とは専門的な知識ではなく、人がついていきたい、信頼できるなど、仕事上必須となるものではないが人の上に立つもしくは人を引っ張っていく業種や業務においては必須になってくる「学」いわば能力のことを言う。

まずこの話は仕事上の話になるのだが、仕事を行うにおいて必要な要素は何だろうか。

それは業種によって変わってくる。

会計士であれば簿記の知識(あんまり詳しくないので違っているかもしれないが)、飲食業であれば専門的な料理の知識であったりホスピタリティ、IT業界であれば最新の技術知識やそれを取り入れるための検証能力など。。。

じゃあ本学とはなんなんだら。

専門的な知識とは真逆なもの。人間的な魅力、人に物事を教える能力、人を惹きつける能力。

そう、皆さんが入社当時に最初の研修で学んだコミュニケーション能力やディベート能力、折衝力、空気を読める能力とかそういう形に見えないもののこと。

末学とは

末学は本学とは逆で先に述べたような専門的な知識のことを言う。

会社などの組織に入ると最初の研修では本学を学ぶが、結局は仕事という中で末学しか学ばなくなっていく。

もちろん末学(専門知識)がなければ仕事にもならないし成果をあげることもできない。

私は今IT関連の会社でWebシステムの開発やクラウドを使用した基盤構築などを行っているがとても学ぶことがたくさんある。

こんなにも膨大な知識を私は先輩のようにスキルとして身につけることができるのだろうか、チーム内で連携して役割分担をし、成果を上げていく、果たして私に将来それができるようになるのだろうか。

とても心配だ。だから毎日ネットではそれ(専門分野)の記事を閲覧し常にインプットを行い先輩に負けじとアウトプットをしている。

日本の教育は末学に寄り過ぎていないか

結論、日本の社会人(かなり大きなくくりであるが)には本学が足りていないのではないかと思う。

アメリカやイギリスの大学では、リーダーシップ、コミュニケーション能力、折衝能力等の本学を4年間かけて学ぶコースがとても多いらしい。

人の上に立つにあたって末学について何も知らないのは有無言わさずだが、本学についての知識が必須なのではないだろうか?

これは仕事の視点の違いにあると思う。

末学を極めたいわば専門線を極めたものはいかに自身の仕事の生産性を上げ、いかに自身が会社に対してもしくはチームに対して貢献することができるかを意識する。

もちろんこれはとても大事なことだ。

プロジェクトでも定常業務でも同じだが、いわばプレーヤーが生産的な仕事ができなければ成果は見込めない。

問題はこのプレーヤー思考、末学のみを極めたものが人の上にたったときだ。

もちろんプレーヤーのまま多大な生産性を発揮し、プロジェクトやチームに対して貢献することはとても良いことであるしそういう人材はより日本に必要だ。

だが、末学だけを極めてきた者は本学を知らない。

人の上に立ったときの視点をもっていない。

人がこの人についていきたいと思うようになるには、なんらかの形で尊敬の念を抱かなければならないと考える。

尊敬というのはなんでもいい。残業で苦しんでいるときに缶コーヒーをそっと置くとか、結論がよくわからない部下の話を真摯に聞いてくれるとか。

お人好しではない。リーダーシップだ。

皆さんにも経験があるのではないだろうか。大学時代でも社会人時代でも、そんなに上の役職じゃないけどこの人は、つまらない話でもなんでも聞いてくれる、怒りっぽい上司にでもズバリ自分の意見を言う。

かっこいいでしょ。私はそういう人についていきたいと思うし、日本の今の政治家にそういうリーダーシップがあるかな。

あまり政治は詳しくないが、福沢諭吉坂本龍馬などの偉人と比べて現在偉人と呼ばれる政界の人間はいなくないか。

これは日本の教育には末学ばかりで本学がないことが原因ではないかと。

教育というのは大学だけではなく企業も含めてそうだ。

マネージャーや上司、部長、社長、すべて含めて、本学がなければ人はついてこない。

私は若干アメリカ信者だが、このような教育や環境は見習うべきだ。

もっとも日本人は(私含め)発信することが苦手な民族だ。仕事とプライベートは完全に切り分け、与えられた自身の裁量をこなせば休日にはもう私の部下ではないのでないかのように振る舞う。

何を言ってるんだ私は。

 

今日会社の同期と飲んでてそういう話をしたから。

私がじゃあ本学やろうぜと会社や部署を変えていけるほどの力も持っていない。

私は今このブログを中生ビール15杯飲んだ後に最近購入したMac Book Airをドヤ顏で叩きながら書いている。

今ここに入力した内容は確実に明日覚えていないし、眠くなってきたし、今思っているこの熱い思いも明日になればなくなっているんだろうなぁ。

これこそ本末転倒である。